講座概要
教育

医学部学生教育では、第2学年に対する心肺蘇生法実習、4学年に救急・中毒チュートリアルコース、5学年と6学年選択者に対してクリニカルクラークシップを担当しています。
2004年に卒後臨床教育制度が大改革され、2年間の初期研修中に一定期間の救急医療研修が義務化されました。厚生労働省の掲げる基本理念には、「一般的な診療に置いて頻繁に関わる負傷又は疾病に適切に対応できるよう、基本的な診療能力を身につける」と謳われています。プライマリーケアを中心とした初期救急診療教育の重要性に着目し、枚方病院救命救急センターでは重症症例に限定することなくバランスを配慮しながら、1・2次救急患者も受け入れる方針としています。
救命救急センターには、学内外の医師・看護師、救急救命士に対する教育を行う義務があり、医師研修、認定看護師研修、救急救命士の卒然・卒後研修を積極的に受け入れています。大阪府看護協会救急認定看護師養成課程と大阪府立消防学校救急救命士養成課程には、毎年講師を派遣しています。
研究

1984年には田中孝也を中心に研究室が整備され、侵襲学、中毒学、免疫学に関する研究を展開してきました。とりわけ、パラコート中毒、酸素ラジカル、各種メディエーター、免疫反応に関する研究には多くの成果をあげました。
臨床研究では中谷壽男、岩瀬正顕、齋藤福樹らが、急性期脊髄損傷に対する培養自家骨髄間質細胞移植による脊髄再生治療に取り組んでおり、世界初の方法による臨床試験を実施しています。
全国規模の学会として1998年に日本救命医療研究会(会長:田中孝也)、2002年に日本中毒学会(会長:中谷壽男)、2003年に日本外傷学会(同)を主催しました。2012年秋には日本救急医学会(会長:中谷壽男)の主催が予定されています。
診療

救急医学科は、北河内医療圏における唯一の3次救急施設である関西医科大学救命救急センターの中核をなす診療科として1979年に開設されました。重症患者の救急集中医療に取り組み、年間5~700例の3次救急患者を受け入れ続けています。
1982年には国際協力事業団からのタイ国カンボディア難民医療援助事業(政府派遣)への参加要請を受け、関西医科大学・熊本赤十字病院混成チームを結成してタイ国カオイダン難民キャンプに3ヵ月間にわたって救命救急センター医師(団長:田中孝也、団員:北澤康秀)・看護師を派遣しました(Japan Medical Team; JMT)。当チームから次チーム・次々チームへと引き継がれたこの政府事業は一応の終了後、大規模災害への国際援助を目的とした急性期短期型活動(Japan Medical Team for Disaster; JMTDR)へと発展しました。そのような縁もあって、救命救急センターでは海外での自然大災害に際して出動するJMTDRに教室員の派遣を繰り返してきました。コロンビア地震、西インド地震、パキスタン地震、インド洋大津波などへの出動実績があります。
1995年の阪神淡路大地震においては、神戸市長田区の兵庫高校に仮設診療所を設け2ヶ月に亘って医療救護活動を行ない、延べ5,400余名の診療を行いました(管理担当:北澤康秀)。本プロジェクトには、学内の多くの医師・看護師の応援参加が実現しました。
2006年1月、関西医科大学附属枚方病院の新設にあわせて、枚方病院に救急センターが開設され、翌年には救命救急センターとなりました。前述のように重症患者限定に過度にこだわらない診療を行い、年間2,000件を越える救急車受入実績があります。
滝井・枚方2病院合わせて4チーム相当の厚生労働省DMAT(災害医療援助チーム)資格者を有していて、要請があればただちに派遣できる体制にあります。2011年の東日本大震災の際には、両病院の救命救急センター医師・看護師の多くが岩手県での医療支援に関わりました。
むすび

救急医療の崩壊が社会問題になっていますが、最も深刻なのは2次救急病院の疲弊です。振り返って本学では、二つの救命救急センターを数少ない救急医学教室員が中心になって運営しています。私達の教室は、社会の求める総合救急医を多く育て、地域の2次救急病院の運営責任者として輩出する使命も帯びています。私達の取り組みが広く学内外の共感を勝ち取り、救命救急センターのみならず地域の救急医療の充実に生かされることを願ってやみません。
注)文中に紹介した元・現教室員については敬称を省き、複数名の場合は原則として五十音順で列記させていただきました。
















