呼吸器外科麻酔では健側のみの肺を換気する分離肺換気を行うのが一般的である.分離肺換気では,左右いずれか一側の肺だけで酸素化と二酸化炭素の除去を行わなければならない.一般的には右肺と左肺の大きさの比はおおよそ4:3であるため,右肺の手術の時の方が管理が難しい事になる.いずれにしても一側の肺だけで酸素化と二酸化炭素を行うことは容易ではないが,適切な生理学的知識の元に行えば可能な方法である.
1. 呼吸とは
呼吸は生体が必要とする酸素を摂取すると同時に生体内で生じた二酸化炭素を体外に排泄するという2つのことを同時に行う運動である.酸素は肺胞から血中(Hbと結合)へ入り,二酸化炭素は血中から肺胞へ放出されるためその動きも逆方向である.また,これら2つの移動の速度は二酸化炭素が肺胞に出て行く方が20倍ほど速いこともあり,2つを最適化する方法は全く異なることを理解しておく必要がある.
1-1. 酸素化
血液が肺胞の毛細管を通過する時間はわずかであるが,正常の肺であればその30%程度の時間内に血液の酸素化は完了する.つまり血流速度が3倍になっても血液は十分に酸素化されるのである.このために走るなどの運動によって心拍出量が増大しても健常人の場合にはこれが理由で血液の酸素化が低下することは無い.
さて,正常であれば各肺胞毛細管で酸素化された血液は肺静脈を経て左心房から左心室,そして大動脈を経て全身に送られる.左心房の血液は理想的には酸素飽和度100%のはずである.ここで,もし右の下葉が無気肺になって右下葉の肺静脈の血液の酸素飽和度が混合静脈血酸素飽和度のまま(75%)になった場合,左心房の血液の酸素飽和度はどのくらいになるだろうか?仮に右下葉を流れる血流が心拍出量の20%とすると100×0.8+75×0.2=95(%)ということになる.なお,このような酸素化されないままの血液が動脈側に返ることを血液がシャントされると呼び,この血流量はシャント量,心拍出量に対するシャント量はシャント率と言われる.さて,もし右肺全体が無気肺になった場合はどうであろうか?単純化するために左右の肺に同じだけの血流が流れているとすると100×0.5+75×0.5=87.5(%)となる.動脈血酸素飽和度はどの程度まで許容できるかという問いに答えるのは容易ではないが,全身の臓器の中で血流に対して最も酸素を消費している心臓から返ってくる冠状静脈洞血の酸素飽和度は40-45%程度であるから,動脈血の酸素飽和度が60-65%を下回ってはいけないことになる.もちろんこれは血液の酸素が全て組織に供与できるという条件での話であり,かつ極限的な話であるから通常はこのような値での管理はあり得ない.十分な安全域を見越して成人の管理では通常動脈血酸素飽和度は90%以上を維持することを目標としている.この基準では右下葉だけの無気肺であれば大丈夫だが右肺全体の無気肺では問題になる,つまり左肺だけを換気して酸素化を最大限頑張っても目標の90%に届かないことになり分離肺換気はできない,ということになってしまう.しかしながら現実には通常の患者であれば左肺だけの換気でも十分に酸素化は可能になる.そこには人間の肺に備わっている素晴らしい自動制御機構が働いているからである.
人間の肺毛細管にはHPV(hypoxic pulmonary vasoconstriction)という機構がある.これは低酸素濃度の肺胞の肺血管が収縮してその肺胞に流れる血流を減少させるというものである.右肺の無気肺に対してHPVが生じ,右肺の血流が50%減少したとすると左肺には心拍出量の75%の血流が流れることになる.この時の動脈血酸素飽和度は100×0.75+75×0.25=93.75(%)と許容限界を上回ることになる.
さて肺の手術は通常側臥位で行われる.つまり換気肺は下側になる.先と同様に左右の肺の大きさを同じと仮定した場合,血液は重力によって下方に集まりやすいため側臥位になるだけで下方の肺には60%,上方の肺には40%の血流が流れる.上方肺を換気しない状態でもしHPVが起こらないとした場合にはこの時の動脈血酸素飽和度は100×0.6+75×0.4=90(%)で限界ギリギリの酸素飽和度となる.現実にはHPVが生じる.上方の肺の血流が50%減少すると下方の肺には80%上方の肺には20%の血流となり,この時の動脈血酸素飽和度は100×0.8+75*0.2=95(%)と十分な安全域になる.このように重力とHPVによる換気肺への血流シフトは分離肺換気を可能にする重要な要因である.
ここでは便宜的に許容下限を便宜的に動脈血酸素飽和度90%としたがヘモグロビンの酸素解離曲線が偏位していない状態ではPaO<sub2は60 mmHg程度と言うことになり,本当にギリギリのラインと言える.このレベルでは酸素解離曲線の傾きも大きくわずかなPaO<sub2の変化で動脈血飽和度も大きく変化する.安全を見込むならPaO<sub2で100 mmHg程度を維持したい.この場合酸素動脈血酸素飽和度で言えば96%以上が目標と言うことになる.これを満たすにはシャント率で言えば33%未満に留める必要があると言うことになる.
分離肺換気時にはしばしば低酸素血症が生じて対策に悩むこともあるが,この生理学的基本を忘れてはならない.例えば胸腔鏡下の胸腺腫瘍の手術では仰臥位での分離肺換気を依頼されることもあるが,このような場合には患側をわずかでも斜め上に傾ければ血流は重力によって健側にシフトし酸素化が改善することも多い.
いずれにしても酸素化を維持するために必要なことはシャント血流をいかにして少なくするかであり,分時換気量を増加させても酸素化は改善しないと言うことを理解しておくことが重要である.
1-2. 二酸化炭素の排泄
呼吸において二酸化炭素の排泄が困難になる場面は多くない.何故ならば二酸化炭素の拡散は酸素の血中への溶解より20倍も早いからである.酸素化と異なり二酸化炭素の排泄にはシャント率はそれほど影響しない.二酸化炭素の排泄は基本的に分時肺胞換気量によって規定される.
成人の安静時の呼吸では一回換気量は体重当たり10mLで換気回数は10-12回である.一回換気量のうち肺胞換気に寄与するのは約70%である.一回換気量のうち肺胞以外の部分を死腔と呼ぶ.死腔のみを換気した場合には二酸化炭素は排泄されない.体重50kgの成人の一回換気量は約500mLであり,このうち死腔は150mLである.気管挿管時には死腔は減るがマスク換気(ラリンゲルマスクを含む)では死腔は増加する.50kgの成人を一回換気量500mL呼吸回数10回で換気した場合分時換気量は5000mLで分時肺胞換気量は3500mLである.一方一回換気量250mL呼吸回数20回で換気しても分時換気量は5000mLであるが分時肺胞換気量は2000mLまで低下する.このように分時換気量が同じでも分時肺胞換気量は換気条件によって異なることを理解する必要がある.浅い早い呼吸では二酸化炭素の排泄効率は悪くなる.
二酸化炭素の排泄で注意しておくことは再呼吸である.呼気の途中で吸気は始まれば患者は二酸化炭素を多く含む呼気の一部を再び吸うことになる.これでは二酸化炭素の排泄効率は悪くなる.何故ならば血液から肺胞への二酸化炭素の移動は濃度差に依存するからである.肺胞内の二酸化炭素分圧が高ければ肺胞に移動する二酸化炭素量は減少する.
成人の場合この再呼吸が問題となるのは重症の肺気腫患者のような重度の閉塞傷害をきたしている場合などに限られるが,重症の肺気腫患者に人工呼吸を行うと多くの場合自発呼吸時よりも高二酸化炭素血症が悪化する.呼気時間を短くすると残気量が増してAutoPEEPが掛かり血圧が低下するが,一方で呼気時間を長くすると呼吸回数を減らさざるを得なくなり結果として分時換気量が制限されるからである.なお,小児では肺胞容量に比べ,気管チューブに接続するコネクターや人工鼻の容量が無視できないくらい大きくなると再呼吸は容易に生じる.再呼吸が生じるような状況では分時換気量をいくら増やしても高二酸化炭素血症が改善されない.むしろ十分な呼気時間を取ってしっかり呼気を完了させることが重要となる.
麻酔中の高二酸化炭素血症は多くの場合低分時肺胞換気が原因であるが,それ以外の原因としては発熱などによる体内での二酸化炭素産生の増加や腹腔鏡・胸腔鏡などで体腔内に送付される二酸化炭素の血液への吸収によることが挙げられる.これらに対しては分時肺胞換気量を増加させて対処するか,もしくはそれぞれの原因に対して対処を行うことである.
2. 分離肺換気時の低酸素血症・換気不全に対する対策
分離肺換気中に最もよく遭遇するトラブルは低酸素血症や高二酸化炭素症といった換気に関連したトラブルである.こういったトラブルはSpO2やPETCO2のモニタリングや気道内圧の上昇などで検出される.これらのトラブルの原因は
- 喀痰による一部の気道閉塞,無気肺の形成
- チューブの位置異常
- シャントの増加
などである.換気不全の原因の大部分は1.と2.であり,低酸素血症はこれらのすべての原因で起こりうる.特に術前から喀痰の多い症例,禁煙期間が不十分であるような症例では喀痰による気道閉塞や無気肺は非常に起こり易い.従って,こういったトラブルに遭遇した場合にまず行うことは気道内の吸引であり,同時にFOBを用いて気道閉塞の有無,DLTやBBの位置異常が起こっていないかを確認する.明らかな気道閉塞が認められなくても末梢 性に無気肺が生じている可能性はある.気道内の吸引の後,十分時間を掛けて換気肺を加圧し無気肺を解消させることを試みる.肥満傾向の患者では人工呼吸を 行うだけでも無気肺が生じ易いため,人工呼吸を開始すると同時に3-5 cmH2OのPEEPを掛けておいてもよい.特にDLTではチューブの気道抵抗も高く,この程度のPEEPはAuto-PEEPの範囲内であることも多くPEEPを掛けることによる問題はまず生じない.ただ,これ以上の高いPEEPは肺血流を非換気肺にシフトさせ,却って酸素化を悪化させる可能性があることを知っておかなければならない.喀痰による気道閉塞も認められず,チューブ位置も適正であるにも係わらず低酸素血症が持続する場合には分離肺換気によるシャントの増加が許容範囲を超えていることが原因と考えられる.この場合には以下の手順で改善を試みる.
- 非換気肺に5cm程度のCPAPを掛ける.
- 換気肺に5cm程度のPEEPを掛ける.
- CPAP/PEEPの調節を行う.ただしどちらの圧も10cmH2Oを超えないようにする.
- HFJV (High Frequency Jet Ventilation)の併用を考慮する.
CPAPを加える時の注意点は,手術操作の邪魔にならない時に一度非換気肺をしっかり膨らませ,その後にCPAPを施行することである.気道は一旦閉塞してしまうと5cmH2O程度の圧では再開通しないためCPAPをそのまま加えても酸素が肺胞まで届かず,結果として酸素化は改善されない.また,10 cmH2Oを超えるCPAPは非換気肺を膨らませ術操作を妨げるという問題が生じる.
どうしても分離肺換気で酸素化の維持が困難である場合には術者と相談しながら時折非換気肺を膨らませながら手術操作を行ってもらい,できるだけ早く切除肺(肺葉)の血管処理を行ってもらうことである.切除肺の血管処理が終了すればこの部分へ流れるシャント血流がなくなり,酸素化は改善されるはずである.この状態でも低酸素血症が持続する場合には術後にも酸素投与が必要であることになり手術適応そのものが問題であったことになる.
なお,筆者はこれまで2000例を超える肺手術の麻酔を行っており,中等度以上の肺機能低下患者も多かったが,分離換気時にCPAPなどの処置が必要となることは非常に稀である.術前に十分な禁煙期間を取り,同時に十分な呼吸リハビリを行なっておくと術中の低酸素血症の発症を最低限にできると考えている.分離肺換気において,呼吸機能そのものよりも喀痰がいかに問題かということを理解しておいて頂きたい.
(Ver 1.00) 2018.12.18 文責 関西医科大学麻酔科学講座 診療教授(呼吸器外科麻酔担当) 萩平 哲